皆さんは、どのような日々を送っていらっしゃいますか? ”人の心を知らずして、人を救うことはできない。”わたしはそう強く感じています。 体の不調や運命の不遇。それらは自分の力できっと動かすことが出来るはずです。
あなたにも、元気いっぱい幸せの光に満ちた日々を過ごして頂きたい。 一緒に苦しみの解決へ向けての一歩を踏み出しましょう! |
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【霊媒師としての出発点】
平成11年の3月の話
修行を始めて3年目
大分県の別府、鉄輪(かんなわ)温泉での出来ごとです。
この頃の私は、大分県の別府にある鉄輪(かんなわ)温泉の一角で、
野外生活を続けながら霊媒師として修行に励む日々でした。
ただ、近所の方々や学生さんなどと交流を大切にしていたので
占いなどを通して多くの方々に巡り合うことができました。
そんなある日、私の霊媒師としての本格的なスタートとなる
2組のご家族が本州からフェリーに乗って私を尋ねてくださいました。
広島県からは、(仮称)大橋さん(56歳女性)と娘(23歳)
岡山県からは、(仮称)佐藤さん(38歳女性)と娘(13歳)と息子(5歳)
大橋さんの娘さんは、以前占いをしてあげた一人でした。
聞けば大橋さんと佐藤さんは実の姉妹。
大橋さんはこの日、わたしを宿の泊めて下さり、
無くなったご兄弟の(仮称)伊藤さんのことを話されました。
私は大橋さんのご希望にい降霊という形で再会のお手伝いをさせていただきました。
伊藤さんと言うのは、大橋さんの弟であり、佐藤さんの兄にあたる方です。
私は、佐藤さんの娘さんへ伊藤さんを降ろすことに決め、
本人とご家族の了承いただき降霊に取り掛かりました。
降霊がはじまると間もなく伊藤さんは現れました。
「いつもそばで見とるけん・・・」と娘さんの口から言葉が発せられると、
大橋さんも、その娘さんも、また佐藤さんも皆一斉に泣き崩れました。
私は、しばらくご兄妹の会話の妨げとならぬようにつとめ
お子さんの様子とご家族を見守りました。
25分程だったでしょうか、お子さんの体力のこともあり降霊を終えました。
亡くなったご親族と再び言葉を交わすことで
温かく懐かしく充実なひと時が過ごせたことに深く感謝をいただきました。
この年の冬、まだ野外での生活を続けていた私に大橋さんから再び連絡があり、
生前伊藤さんが住んでた山口県のご自宅への居住をお誘いをいただきました。
お言葉に甘え、春まで家をお借りし修行に努めさせていただきました。
今の私にとって、
この降霊が霊媒師として本当のスタートとなったことは言うまでもありません。
今でも「会いたかったよ」と大橋さんの娘さんの声が思い出されます。
島根県松江に生まれる。
特に出雲の地方では、昔、病気、体調不良などになると病院ではなく『拝み屋さん(祈祷・霊媒師)』に見てもらうことが多くありました。思えば、これは自然な流れだったのかも知れません。 母方が出雲の血を引いており、わたしは小さな頃から不思議なものを見、人ならざるものを肌に感じて育ったのです。 |
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子供の頃、父の死期を悟ったことがあります。それは幼い頃の自分が父と戯れ、馬乗りになって遊んでいたときのことです。突如、「この人は、もう長くはない。」冷静にそう悟ったのです。その後、父は間もなく亡くなりました。わたしは恐ろしい気持ちと同時に、確信的に思ったのです。「わたしは、人の生き死にに近い存在なのかもしれない。普通の子供とは違う。」と。 |
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平成4〜5年頃、運命に導かれるように”霊媒師”として始めて看板を掲げ、10年に及ぶ長い修行へ旅立ちました。 旅と共にさまざまな苦難に出会い、修行を重ね、徐々に能力を高めていきました。3000人を超える人々との出会いから新たな能力が生まれ、その能力は人々との出会いの中で育ち、わたしは強い霊能力を授かったのです。人との出会いが、運命が、わたしを強く育て上げてくれたのです。 |
九州の旅の途中、大分県の耶麻渓にある”青の洞門”へ訪れた際の出来事です。 |
禅海和尚から授かった1本に加え、更に苦行の中でもう1本自分の鏨を会得。 ・禅海和尚の鏨 ・苦行の鏨 |
