皆さんは、どのような日々を送っていらっしゃいますか?
毎日が元気で幸せであれば、どんなに素晴らしいことでしょう。
しかし、世の中は健康不良やうまく行かないことがあまりに多く、悲しい、辛いことが溢れています。
私は10年の間、日本全国を修行に歩きました。訪れる土地で、様々な境遇の方に出会い沢山の優しさ温かさ、また悩みや苦しみ悲しみにも数え切れないほど触れてきました。
自分にこの力が授かったのは苦しんでいる人を助ける為だと、何かに導かれる運命を感じております。わたしは、能力にすべて頼るのではなく、まず依頼者様の心に寄り添い、その上で全力を尽くし依頼者様が抱える問題を解決へと導いています。

”人の心を知らずして、人を救うことはできない。”わたしはそう強く感じています。

体の不調や運命の不遇。それらは自分の力できっと動かすことが出来るはずです。
私に悩みを相談された方は、依頼者様が諦めない限り解決できなかった案件はありませんでした。
ひきこもりや病気の方。それは体が弱いから、気持ちが弱いからではありません。
”他では治らなかった” ”もう誰にも私を救えない” ”治るわけが無い”果たしてそうでしょうか?

あなたにも、元気いっぱい幸せの光に満ちた日々を過ごして頂きたい。
わたしの天から授かったこの力で、一人でも多くの方を笑顔に出来たのなら、こんなにも幸せなことはありません。これがわたしに課せられた運命であり、授かった天命。命の炎の燃え尽きるまで、わたしは悩める人々を救いたいのです。

一緒に苦しみの解決へ向けての一歩を踏み出しましょう!
いつでも親や兄弟のような気持ちで貴方をお待ちしています。

【霊媒師としての出発点】

平成11年の3月の話
修行を始めて3年目
大分県の別府、鉄輪(かんなわ)温泉での出来ごとです。
この頃の私は、大分県の別府にある鉄輪(かんなわ)温泉の一角で、
野外生活を続けながら霊媒師として修行に励む日々でした。
ただ、近所の方々や学生さんなどと交流を大切にしていたので
占いなどを通して多くの方々に巡り合うことができました。
そんなある日、私の霊媒師としての本格的なスタートとなる
2組のご家族が本州からフェリーに乗って私を尋ねてくださいました。
広島県からは、(仮称)大橋さん(56歳女性)と娘(23歳)
岡山県からは、(仮称)佐藤さん(38歳女性)と娘(13歳)と息子(5歳)
大橋さんの娘さんは、以前占いをしてあげた一人でした。
聞けば大橋さんと佐藤さんは実の姉妹。
大橋さんはこの日、わたしを宿の泊めて下さり、 無くなったご兄弟の(仮称)伊藤さんのことを話されました。
私は大橋さんのご希望にい降霊という形で再会のお手伝いをさせていただきました。
伊藤さんと言うのは、大橋さんの弟であり、佐藤さんの兄にあたる方です。
私は、佐藤さんの娘さんへ伊藤さんを降ろすことに決め、 本人とご家族の了承いただき降霊に取り掛かりました。
降霊がはじまると間もなく伊藤さんは現れました。
「いつもそばで見とるけん・・・」と娘さんの口から言葉が発せられると、 大橋さんも、その娘さんも、また佐藤さんも皆一斉に泣き崩れました。
私は、しばらくご兄妹の会話の妨げとならぬようにつとめ お子さんの様子とご家族を見守りました。
25分程だったでしょうか、お子さんの体力のこともあり降霊を終えました。
亡くなったご親族と再び言葉を交わすことで 温かく懐かしく充実なひと時が過ごせたことに深く感謝をいただきました。
この年の冬、まだ野外での生活を続けていた私に大橋さんから再び連絡があり、 生前伊藤さんが住んでた山口県のご自宅への居住をお誘いをいただきました。
お言葉に甘え、春まで家をお借りし修行に努めさせていただきました。
今の私にとって、 この降霊が霊媒師として本当のスタートとなったことは言うまでもありません。
今でも「会いたかったよ」と大橋さんの娘さんの声が思い出されます。

島根県松江に生まれる。
黄泉の国の入り口と言われる黄泉比良坂のある島根県は”生と死の境”といわれる地であり、わたしはこの神の国、神話の国という地域風土を背景に豊かな自然に囲まれて育ちました。島根県では皆が神々の存在、霊の存在を身近に感じ、それらに自然と触れながら生活を営み、昔から霊気の濃い土地として有名であったのです。

特に出雲の地方では、昔、病気、体調不良などになると病院ではなく『拝み屋さん(祈祷・霊媒師)』に見てもらうことが多くありました。思えば、これは自然な流れだったのかも知れません。 母方が出雲の血を引いており、わたしは小さな頃から不思議なものを見、人ならざるものを肌に感じて育ったのです。

子供の頃、父の死期を悟ったことがあります。それは幼い頃の自分が父と戯れ、馬乗りになって遊んでいたときのことです。突如、「この人は、もう長くはない。」冷静にそう悟ったのです。その後、父は間もなく亡くなりました。わたしは恐ろしい気持ちと同時に、確信的に思ったのです。「わたしは、人の生き死にに近い存在なのかもしれない。普通の子供とは違う。」と。
時は過ぎ、次第に能力は強くなっていきました。学生の時、仏壇に手を合わせていた時のことです。蝋燭が揺らめいたかと思うと、炎が細く天へ伸び、1メートル以上の流れになったのです。蝋燭の炎は、わたしに何か語りかけるように上下に伸び、縮みしました。それはまるで「早く自分の使命に気付け!」そう言っているようでした。

平成4〜5年頃、運命に導かれるように”霊媒師”として始めて看板を掲げ、10年に及ぶ長い修行へ旅立ちました。 旅と共にさまざまな苦難に出会い、修行を重ね、徐々に能力を高めていきました。3000人を超える人々との出会いから新たな能力が生まれ、その能力は人々との出会いの中で育ち、わたしは強い霊能力を授かったのです。人との出会いが、運命が、わたしを強く育て上げてくれたのです。

九州の旅の途中、大分県の耶麻渓にある”青の洞門”へ訪れた際の出来事です。
青の洞門伝説に心を打たれた私は、深夜禅海和尚との対話を求めて現地へ向かいました。
禅海和尚との対話を持つ事ができ、交流の末その禅海和尚から大切な「鏨(たがね)」を授かったのです。それは神秘的な体験でした。
わたしはその鏨を持って、より多くの人々を救うことを心に誓ったのです。

禅海和尚から授かった1本に加え、更に苦行の中でもう1本自分の鏨を会得。
鏨には強い霊力があり、霊との対話では除霊不可能な重度の除霊時に使用します。

・禅海和尚の鏨
悪意のある霊へ使用

・苦行の鏨
生霊へ使用。(たとえばストーカーの足に打ち込むなど)